城下町の中心、商人町として発達した一之町、二之町、三之町の三すじの町並みを合わせて三町と呼んでいます。出格子のつらなる軒下には用水が流れ、造り酒屋には看板ともいわれる杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり町家の大戸や、しにせののれんが軒をつらねています。
<定重要伝統的建造物群保存地区> |
この役所を「高山陣屋」とよび、おふれを出したり年貢の取りたてなどをしました。
明治まで25代177年間続きました。クレ葺屋根の門の扉に残るしみは梅村騒動で農民に殺された門番の血痕といわれています。
玄関を入った壁には、郡代の格式を示す「青海波」模様があります。内部には、御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州などのほか裏手には、高山城三の丸から移した御藏(米藏)8戸前(藏は戸前と数える)も昔のまま残されています。かつて年貢米を保管した藏で天領時代の歴史を物語る資料が展示されています。大原騒動で打ち首となった本郷村(現在上宝村)の農民善九郎が妻に送った遺言状の文面には胸をうたれます。 |